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父の日のプレゼントにループタイはいかが?

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

父の日まで1カ月をきりましたね

父の日は6月の第3日曜日で、今年は6月21日です

 

毎年何をあげればいいのか迷っている方もいらっしゃると思います

 

私たち世代の父となると特に、ネクタイをプレゼントしたいが、もう退職していてネクタイを締める機会がないので何をあげてよいのか困っているという声も多く訊かれます

 

 

 

そこで、今回はループタイをご提案したいと思います

 

みなさんはループタイってご存知でしょうか?ループタイは別名ポーラータイとも言い、英語ではBolo Tieと書きます

 

一本の紐をBoloと呼ばれるブローチのようなもので留めたスタイルで、アメリカ映画でも、南部から大都会へ出てきたお父さんが締めているのを見かけます

 

 

 

実は、このループタイは年配の方にはすごく具合が良いのです

 

ネクタイは結ぶ際に苦労したり、窮屈に感じたりする方もいますが、その点ループタイは、頭からかぶって紐をワイシャツのカラーの下に入れて、あとは飾り細工のBoloをちょっとだけあげればことが済むからです

 

散歩に出たり、ちょっとした街への用事へ行ったりと、ノータイでは少しスポーティー過ぎて普段着のようだし、ネクタイを締めるのは窮屈だし、といった時に大変都合がよいと思います

 

適当にカジュアルで、ネクタイとノーネクタイの中間を狙った着易さがあって好ましいのではないでしょうか?

 

 

 

また、気軽さといった実用的効果だけでなく、Boloの飾り細工でその人の好みのお洒落をプラスさせる趣味性も持っています

 

たとえば、シルバーを加工したものや、イタリア製のカメオ、石を細工したものもあり、紐も布製や革製、金属など様々な種類があります

 

時間があるようでしたら、シルバーで作ってプレゼントすることもできます

 

 

 

着こなしのコツは、Boloをあまり大きなものを選ばず小ぶりなものにし、普通のネクタイの結び目のようにカラーにぴったりさせるよりは、ほんの少しだけ下のほうに下げておくほうが楽ですし、バランスも良いかもしれません

 

もし注意点があるとすれば、イメージ的に年相応に映りやすいので若い恰好をしていたい方だと素材などいろいろ考える必要があると思います

 

逆に、使い方次第では若い方にも大変合うと思います

 

 

bolo tie

 

Bolo2

 

bolo tie2

 

bolo tie1

 

bolo1

写真はGoogle画像検索より

 

 

父の日にループタイはいかがですか?参考にしてみてください

 

 

 ネクタイの選び方については以前のブログをどうぞ!

http://tailorshinya.blog58.fc2.com/blog-entry-8.html

http://tailorshinya.blog58.fc2.com/blog-entry-9.html

 

 

静岡県のテーラー新屋は、働くお父さんだけでなく、退職したお父さんもを応援しています

 

 

 

 


カマーバンドの由来と襞の向き

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

先日、海外で結婚式を挙げるお客様からファンシータキシードのご注文をいただきました

ブルーのモヘアに黒色の拝絹を被せたタキシードはとても素敵でした

 

さて、タキシードのアクセサリーの一つにカマーバンドというものがあります

 

今回はその、カマーバンドの由来と横襞の向きについて書いてみたいと思います

 

 

カマーバンドの起源はインドといわれており、インドの民族衣装といえば頭に巻くターバンが有名ですが、このターバンと同じように、ウエストに巻く飾り帯も重要な装飾品のひとつがカマーバンドの起源とされています

※カマーバンドという英語の名称もカシミアと同じようにインド語と英語を合成した呼び名です

 

このインドではごく一般的だった飾り帯を、まず最初に自分たちの着るものに取り入れたのがイギリスの海賊だったのでは?といわれています

 

頭に黒い布地を巻きつけ、半裸のこのの部分にそれと同じ黒い布地を巻きつけたパイレーツスタイルは、映画などで誰もがおなじみです

 

 

ウエストに布を巻くというスタイルが欧州のおしゃれな人たちの間で、まず最初に流行したのは17世紀のことだとされています

イギリスの文献に最初にカマーバンドという言葉が登場したのが1616年のことだからです

 

もっともそれは女性物の飾り帯(サッシュ)として流行して、それが現在まで重要なアクセサリーになり続けています

 

問題はなぜそれが19世紀末から20世紀の始めの時代に登場してきたタキシードにどうしても欠かすことのできないアイテムとして定着したかということになると思います

 

 

フォーマルの着こなしの基本の一つに、ズボンのウエストバンドをみせないというものがあります

 

そのため、ズボンの上端を隠すにはベストがどうしても必要で、そのためドレスベストと呼ばれている、生地やカッティングに凝ったベストが大量にデザインされています

 

本来、タキシードの原型はスモーキングジャケットですので、リラックスする際に着用していたことを考えると、夏場に無理してベストを着用するよりは、カマーバンドで隠そうということになったのかもしれません

 

 

このカマーバンドにはさまざまな種類があり、拝絹と共地の黒無地をオーソドックスとして、ネクタイのような色柄のものもあり、また、もう一つの形態的な特徴としてプリーツ付きのものとプレーンのものがあります

 

じつは、このプリーツはポケットやベントといった機能的な要求からできたもので、カマーバンドのプリーツの本来の役目は物入れといわれています

 

観劇やパーティーに出かけるさい、このプリーツの間にチケットや小銭を入れていたとされているからです

わかりやすく言えば、外国式腹巻ということで、映画など観ても寅さんなんかも、物入れとして活用しています

 

プリーツは装飾的なデザインという要素もあって、現在ではその要素のほうが重視されていますが、本来は物入れのためにつけられたという説です

※他の説として、食事をした際の、食べカスを受け止めるなどという説も聞いたことがあります

 

いろいろな説もあるかもしれませんが、どの説にせよ、カマーバンドのプリーツの山は絶対に上向きでなければならないということです

 

プリーツしかり、スーツの一番下のボタンのアンカフスといい、本来的な意味と機能を完全に把握すれば、自然にどのような着こなしをすればいいのかや、着用方法などがわかると思います

 

 

結局のところ、それらが機能美となって表現されるのだと思います

 

 

静岡県のテーラー新屋は、機能美のあるもの、スーツはもちろん飛行機の流線型も大好きです

 

 

 


エマニュエル・ウンガロ

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

4月も残すところあとわずかです

休日になると、この時期浜松では浜松祭りの準備を所々で見受けられ、気持ちがウキウキしてきます

 

 

さて、前回はクレージュについて書きましたが、そのときにも少し触れたウンガロについて今回は書いてみたいと思います

パリで同時代に活躍したクレージュとウンガロ、それぞれのセンスの違いなど比べてみるとより面白いかもしれません

 

 

エマニュエル・ウンガロは1933年イタリアで生まれました

 

ウンガロと同年生まれのイタリア人デザイナーとしてまず思い出すのはジョルジオ・アルマーニです

 

アルマーニが1970年代中期のデビューと比べると、ウンガロはそれよりも10年早い1965年に第一回のコレクションを発表し、パリのファッション界に登場するという華やかなスタートで飾られています

 

また、アルマーニがパリのニノ・セルッティのデザインハウスでスタイリストをしていたという地味な経歴に比べ、ウンガロはパリの名門オートクチュールのバレンシヤガで1958年から1963年までの間、スタイリストを務めていました

 

ウンガロとアルマーニのデビューの差は、いわば華やかなパリの表舞台を経由したという経験の質の違いが、この10年の差となって出てきたのかもしれません

 

いずれにせよ、エマニュエル・ウンガロの登場は華々しかったという事実に違いはありません

 

 

ウンガロの登場した60年代は、女性のミニスカートや男性のモッズルックに象徴される大胆な前衛の時代でした

デザイナーとはその時代を反映しており、特に新たに登場してくる若いデザイナーにはそういった傾向が強いのも当然です

 

そのような背景からなのか、ウンガロのデザインは、それまでのパリの高級衣装店のデザイナーが世界の上流階級を前提として新しいデザインを起こしていたのに対して、その対象年齢をぐっと引き下げて、自分と同年齢層の若い世代のためのファッションを創造したのでした

 

若い人たちを対象としたデザインは、現在ではごく常識的な発想になっていますが、60年代のパリのオートクチュールの世界では画期的な事件でした

 

こうした彼の独自な革命的なやり方を「若いテロリスト」とパリのデザイン界が評したのもごく自然のことでした

 

 

60年代というのは、プレタポルテが本格的に開発された年代でしたが、ウンガロの特色である、若い世代にデザインの対象を絞り込んでの特異な色柄とスタイルが、ウンガロをたちまちライセンスによる人気デザイナーズブランドへと押し上げました

 

70年代の初期には、もうアメリカの市場をはじめとして世界のどの都市にもみられる有名ブランドへと成長していきました

 

 

ところが1977年に事件がおこりました

それは支配人のアンリ・ベルゴーをはじめとする古くからの12人のスタッフが、当時パリに進出したばかりの日本の森英恵のハウスにごっそりと引き抜かれてしまったのでした

 

そして、この森英恵の店はパリのオートクチュールが密集するモンテーニュ通りの、ウンガロの店のちょうど向かい側に開店しました

スタッフばかりでなく、顧客も引き抜かれるのは当然のことでした

 

再起は不可能とさえ噂されましたが、バルマンにいたスタッフの何人かを補充し、そのプレタポルテの生産本拠を彼の故郷であるイタリアに移すなのど合理化によって、ようやく80年代の初めに全盛期に近い業績を上げるまでに復活しました

 

1990年、ウンガロが50歳のとき、ラウラ・ファファーニと結婚し、1996年にはフェラガモにブランドを売却しました

このフェラガモへの売却は友好的な買収だったと言われているそうです

 

そして、現在でも、ウンガロのデザインチームの若い人たちが元気に活躍しています

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ウンガロの特異な異国情緒を盛り込んだデザインも好きです

 

 

 


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