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コラム仕立て

既製品とオーダーの決定的な違いは「着る人がそこにいるかどうか」――比率の考察

はじめに

前回、「フルオーダーと他のオーダー」を比較する記事を書いたときやや強い口調になってしまいました。比較はどうしても角が立ちやすい文章になりやすいですね(汗)。今回はそうならないように気をつけて書いてみます。

既製品とオーダースーツの違いは品質や価格だけではありません。もっと根っこにあるのは「対象者が不在」か、それとも「対象者がいる」かです。既製品は「まだ見ぬ誰か(ペルソナ)」のために作られますがオーダーは「今、目の前にいるあなた」からすべてが始まります。今回はこの違いを丈の設計や鎌深(アームホールの深さ)といった少しマニアックな視点から掘ってみます。


1. 既製品は「不在の誰か」に向けて作られる

既製品は作る時点で着る人が目の前にいません。だからメーカーは統計からペルソナ(想定身長・体型)を作りそこに合わせてシルエットを決めます。その数値の範囲でブランドのシルエットを成立させ着丈やウエスト位置、ポケット位置などを設計していきます。このやり方は大変合理的で大量生産の世界では正しいと思います。しかし限界もあります。“その人の身体バランス”に合わせた最後の1cmを決めることができないからです。
オーダースーツは逆です。着る人がそこにいて体型だけでなく立ち姿・重心・骨格・筋肉のつき方まで含めてはじめて最終形が決まります。つまりシルエットにたいしてのオーダーの本領は「サイズ合わせ」じゃなくバランス合わせです。


2. 丈の話:日本は「総丈」ベースになりやすい(そして曖昧になりやすい)

日本のオーダー現場では丈の設計を考えるときに総丈(第七頸椎=ジャケットの襟が乗る位置で首の出っ張った骨)から床までを基準に組み立てる考え方がよく見られます。

第七頸椎の説明
第七頸椎のイメージ

たとえば
● スーツの着丈は総丈の50%前後を目安にします。
● ウエストは着丈の50%プラス〇〇センチ
● モーニングコートは総丈の75%-10センチ前後
● チェスターフィールドコートはモーニングが隠れる必要があるので「モーニング丈 +3センチ前後」
…というように丈に関する判断が一本の“物差し”に集約されます。測りやすいですしジャケットの起点にもなります。

しかし総丈が身体のプロポーションにたいしては“万能の物差し”かというと実はそうでもありません。

顎と第七頸椎のずれの指摘
顎と第七頸椎

理由のひとつが、「頭の高さ(頭頂〜顎)」と「総丈の起点(第七頚椎)」が別物だからです。8頭身で考える「頭の高さ」は前側(頭頂から顎)にある基準ですが総丈は背中側の第七頚椎から測ります。この時点で見た目のプロポーションと測っている起点がズレます。さらに首のつき方や頭の前後の出方、姿勢(前傾・反り)でも見え方は変わります。
そのため総丈は測りやすい反面、プロポーション設計の指標としては案外曖昧なのです。


3. イギリス系の考え方:NWL(ナチュラル・ウエスト・レングス)

そこで出てくるのが英国系の裁断書の考え方のひとつ、NWL(Natural Waist Length)
これは第七頚椎からウエストの最も細い位置までを基準にする発想です。スーツは上下が途切れず“一揃い”に見える必要がありますが、脚が長い人/胴が長い人/骨盤が高い人…こういう体型差を自然な見え方に整えないといけません。

NWLを基準にすると「その人のくびれ位置」を起点に上下の比率を組めるので結果として自然な比率に落ちつきやすいです。


4. 鎌深の話:バスト基準だけでは決まらない

日本では鎌深(アームホールの深さ)を決めるときバスト寸法から“基準値”を出すやり方が一般的です。もちろんアームホール実寸を測る方法や、肩先から、短寸式のように鎌深を実測する方法など他にもあります。

鎌深はバストだけじゃなく
● 肩下がり
● 背中の丸み
● 筋肉のつき方
● 生活姿勢(前傾・前肩など)
で体感も見え方も変わります。

そのため英国の裁断の中には鎌深を“バストの比例”で決めないという考え方もあります。たとえば、ある裁断書では鎌深を胸囲基準で片付けずNWLのような身体の節から考えるという発想が出てきます。デンマークの裁断もバストと身長から鎌深を割り出しています。何が言いたいかというとバストが完全に不要という意味ではなく「鎌深はバストだけでは決めきれない」ということです。


5. もう一つの指標:スケール

ここにもう一つ別の裁断書の話を足しておきます。
鎌深を「バスト基準の比例」で出すのは分かりやすい反面、体型が標準体から離れれば離れるほどどこかで寸法が破綻しやすいです。

たとえば仮に「バスト基準」で鎌深を出すとします。
おそらく標準的な裁断書の想定の中心は バスト92cm前後でそのときに鎌深が 23cmくらいになるように設計されています。ところがバストが 110cm になると比例計算のままでは 27.5cm と急に大きくなってしまいます。


数字だけ見ると「大きい人だから大きくて当然」に見えますが鎌深は単純に増やせばいい場所じゃありません。増やし方を間違えると腕の可動や上着のまとまりが崩れやすくなります。そのため110センチ以上はマイナス〇〇センチといった具合に経験則で調整していきます。

そこで出てくるのがスケールという発想です。
胸囲から割り出しますがそこに付け足す定寸を大きくすることで胸囲の寸法に引っぱられ過ぎず鎌深やみつ幅の増え方をコントロールすることが可能です。

スケールという概念を使った鎌深と比較をすると

という増え方になり極端に跳ね上がりにくくなります。
※ここでは式は割愛しますが「胸囲で全部を決めない」という考え方の差だと思ってください


6. 比率は“美学”じゃなくて“設計ツール”

最初に断っておきたいのは比率は“美学”じゃなくて“設計ツール”だと思っています
8頭身や黄金比は誰かを評価するための物差しではなくバランスを決めるときに「どこに重心を置くと自然に見えるか」を考えるための道具です。

8頭身とは何か(見た目の物差し)

ご存知だとは思いますが「8頭身」とは、身長=頭の高さ×8として見たときの“見た目の比率”のことです。
例えば、革靴の踵込みで172cmとすると
172 ÷ 8 = 約21.5cm
つまり「頭1個分」が約21.5cmの世界観になります。服のバランスを考えるときに人が無意識に感じる「整って見える目安」として大変便利です。
そして8頭身の考え方だと上半身と下半身の視覚的な境界線(おへそ)がだいたい身長の3/8付近にきます。この正確な位置は既製品や裁断上で求めるのはほぼ無理だと思います。したがって仮縫いの際に床からメジャーを当てて「見た目の中間点」を確認しながら”視覚的なウエスト”(いちばん絞りたい位置)を決めるというやり方ができます。

8頭身のイメージ

黄金比とは何か(視線がとまる位置を作る比率)

黄金比もバランスよくみえる比例として聞いたことがあるとおもいます。黄金比はおおむね 1 : 1.618 の分割比です。
172cmを黄金比で上下に分けると、

172 ÷ 1.618 ≒ 106.3cm
172 − 106.3 ≒ 65.7cm

つまり 上65.7:下106.3 という分割になります。

地面から106.3cmの位置に「視線が止まるナニカ」を作ると整って見えやすいと考えます。
私の場合は、スーツで言えばその節を意識して腰ポケットの口(もしくは一番下のボタン)をおくと効果的だと思っています。
だから仮縫いのとき実際にメジャーを当ててその位置を確認しながらポケット位置や絞りを“その人の比率”に合わせて調整すると既製品では出しにくい自然さが作れると思います。


7. 補足:総丈もNWLも「万能ではない」

誤解のないように補足をすると、総丈ベースにもNWLにもそれぞれ長所と限界があります。

総丈ベースでも着丈の微調整やボタン位置の補正を経験的に重ねれば十分に美しい比率は作れます。むしろ総丈は測りやすく再現性も高い指標だと思います。
一方でNWLは服のバランスに直結する便利な基準ですが測るのが案外難しいです。ウエストの「いちばん細い位置」は姿勢で動きますし1cmくらいは簡単にズレます。その点総丈のほうが安心感はあります。
● 頭身や黄金比は“美の目安”であって個人の好みによって意図的に外す設計ももちろん良いと思っています。また日本人の体型は8頭身よりも7.5〜7.8等身ぐらいのほうがしっくりくることもあります。

だから結局、私がいちばん大事にしているのはどちらの基準が正しいかではなくて最後は実寸を測って仮縫いでバランスを整えていくことの重要性です。


8. まとめ:目で見たバランスは数字と仮縫いで詰める

裁断の段階で目安を立て仮縫いで実際にメジャーを当ててウエスト位置・ポケット位置・着丈の“見え方”を微調整する。この「数字 → 仮縫い → 目の確認」の往復ができるのは着る人が目の前にいるオーダーだからこその醍醐味だと思います。既製品は「不在の誰か」に向けて合理的に作られます。オーダーは「目の前のあなた」に向けて最後のバランスを決めることができます。その差はときには着丈や鎌深の“1cm未満”かもしれません。しかしその1cm未満が着たときの品格や自然さを左右します。

「ここをウエスト位置にしましょう」
「ポケットをあと5mm上げると、脚が長く見えますね」

こんな対話は着る人が目の前にいなければ成立しません。既製品にはできない「1cm未満の品格」。オーダースーツはいかがですか?

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