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【歴史】の記事一覧

シャネルスーツの由来とディテール

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

先日、コンビニで「佳子さま20年のあゆみ」という本をみかけました

Amazonを見てみると数冊出版されており、佳子さまの人気の高さが伺えます

 

佳子さまといえば、春先にシャネル風のスーツを「シャネルのスーツ」をお召しになっていると誤って引用したため、ちょっとした騒動になったことが記憶に新しいです

 

 

そこで、今回はなぜ佳子さまがお召しになっていたタイプのスーツを「シャネル風スーツ」や「シャネル・スーツ」と言うのか書いてみたいと思います

 

 

今から33年ほど前、1981年の秋に「シャネル・スーツ」をめぐりちょっとした問題が巻き起こりました

 

今では、当たり前のことかもしれませんが…

それは、当時のシャネル社の日本総代理店が新聞に「当社製品以外に対し、シャネル・スーツという言葉を用いることはまかりならぬ」と半ば普通名詞として長年親しまれてきた言葉について広告文を掲げました

さらには「シャネル風やシャネル調などとも使ってほしくない」とまで話が発展しました

 

これにはアパレル業界も大変困ってしまったそうです

 

というのも、そもそもは、アパレル業界とファッション雑誌がタイアップして、「流行の中心はシャネル・スーツ」とか「だれもが一着ほしいシャネル・スーツ」といった類のかなり大掛かりなキャンペーンを打ち出したのがはじまりだからです

 

 

ここで、まず「シャネル・スーツ」がどういったものなのか簡単に書いてみます

 

「シャネル・スーツ」は、パリ・モードの先駆者の一人であるココ・シャネルことガブリエル・シャネル(1883-1971)の名前に由来しますが、この種のスーツが発表されたのは、第一次世界大戦の頃で、女性が社会的に進出するのにふさわしいデザインの服として脚光を浴びました

 

代表的なパターンとして①直線的なシルエット、②詰まったラウンド・ネック、③スクエア・フロントで短めの上着丈、④膝丈までのスカート等々を特徴として挙げられますが、その他にも⑤ブレードで縁取ったり、⑥金属釦を用いたりすることが多いです

 

コルセットからの解放や、ジュエリー(貴金属)から単なるアクセサリー(小物)による装飾、素材もシルクのみならずウール、コットンその他の採用なども「シャネル・スーツ」の特質といってよいかもしれません

 

紳士服と異なり婦人服は流行に左右されますが「シャネル・スーツ」に限っては基本的な考え方として流行に超越した存在を誇って今日に至っています

 

 

閑話休題

 

婦人物のデザイナーは、デザインをコピーされることを大変嫌います

 

しかし、ココ・シャネルは違い、以下のように言っていました

 

「とにかくニセモノがホンモノを感覚的にも技能的にも越せるはずはないのですから…」とも「それがために社会に役立ち、同時に私自身の宣伝ともなれば幸い…」と言ったとも伝えられています

 

いずれにせよ、シャネル自身は「どうぞ真似てください」といったスタンスだったようです

 

 

ところが、シャネルが88歳で亡くなってからも10数年間は、パリの本社では主にオートクチュール(注文洋服)を扱ってきたものの、その後の高級既製服(プレタポルテ)への進出よって、今までの個人の注文に対して感覚や技能をアピールしていったことを既製服では表現することが難しくなり、他社の「シャネル・スーツ」に対抗?せんばかりに、日本市場を背景に「商標権」について異議を申し立てることとなった背景があります

 

 

このような経緯から、是非はともかく昔から佳子さまがお召しになっていたようなスーツのデザインをアパレル業界では慣習的に「シャネル・スーツ」とか「シャネル風・スーツ」と呼んでいるわけです

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ココ・シャネルがこの問題に天国でなんと言っているのか気になります

 

 

 


カマーバンドの由来と襞の向き

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

先日、海外で結婚式を挙げるお客様からファンシータキシードのご注文をいただきました

ブルーのモヘアに黒色の拝絹を被せたタキシードはとても素敵でした

 

さて、タキシードのアクセサリーの一つにカマーバンドというものがあります

 

今回はその、カマーバンドの由来と横襞の向きについて書いてみたいと思います

 

 

カマーバンドの起源はインドといわれており、インドの民族衣装といえば頭に巻くターバンが有名ですが、このターバンと同じように、ウエストに巻く飾り帯も重要な装飾品のひとつがカマーバンドの起源とされています

※カマーバンドという英語の名称もカシミアと同じようにインド語と英語を合成した呼び名です

 

このインドではごく一般的だった飾り帯を、まず最初に自分たちの着るものに取り入れたのがイギリスの海賊だったのでは?といわれています

 

頭に黒い布地を巻きつけ、半裸のこのの部分にそれと同じ黒い布地を巻きつけたパイレーツスタイルは、映画などで誰もがおなじみです

 

 

ウエストに布を巻くというスタイルが欧州のおしゃれな人たちの間で、まず最初に流行したのは17世紀のことだとされています

イギリスの文献に最初にカマーバンドという言葉が登場したのが1616年のことだからです

 

もっともそれは女性物の飾り帯(サッシュ)として流行して、それが現在まで重要なアクセサリーになり続けています

 

問題はなぜそれが19世紀末から20世紀の始めの時代に登場してきたタキシードにどうしても欠かすことのできないアイテムとして定着したかということになると思います

 

 

フォーマルの着こなしの基本の一つに、ズボンのウエストバンドをみせないというものがあります

 

そのため、ズボンの上端を隠すにはベストがどうしても必要で、そのためドレスベストと呼ばれている、生地やカッティングに凝ったベストが大量にデザインされています

 

本来、タキシードの原型はスモーキングジャケットですので、リラックスする際に着用していたことを考えると、夏場に無理してベストを着用するよりは、カマーバンドで隠そうということになったのかもしれません

 

 

このカマーバンドにはさまざまな種類があり、拝絹と共地の黒無地をオーソドックスとして、ネクタイのような色柄のものもあり、また、もう一つの形態的な特徴としてプリーツ付きのものとプレーンのものがあります

 

じつは、このプリーツはポケットやベントといった機能的な要求からできたもので、カマーバンドのプリーツの本来の役目は物入れといわれています

 

観劇やパーティーに出かけるさい、このプリーツの間にチケットや小銭を入れていたとされているからです

わかりやすく言えば、外国式腹巻ということで、映画など観ても寅さんなんかも、物入れとして活用しています

 

プリーツは装飾的なデザインという要素もあって、現在ではその要素のほうが重視されていますが、本来は物入れのためにつけられたという説です

※他の説として、食事をした際の、食べカスを受け止めるなどという説も聞いたことがあります

 

いろいろな説もあるかもしれませんが、どの説にせよ、カマーバンドのプリーツの山は絶対に上向きでなければならないということです

 

プリーツしかり、スーツの一番下のボタンのアンカフスといい、本来的な意味と機能を完全に把握すれば、自然にどのような着こなしをすればいいのかや、着用方法などがわかると思います

 

 

結局のところ、それらが機能美となって表現されるのだと思います

 

 

静岡県のテーラー新屋は、機能美のあるもの、スーツはもちろん飛行機の流線型も大好きです

 

 

 


ダブルブレステッドの歴史

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

昨年からダブルのスーツが流行の兆しを見せていますね

 

ダブルのスーツというと、年配の方にはバブル時代のアルマーニを代表とするゆったりとしたスタイルの印象を受けると思いますが、今回の流行はどちらかと言えば、英国調のタイトでありつつもドレープ感のあるスーツを多く見受けられます

 

 

そこで、今回はダブルブレステッドスーツの歴史なんかを書いてみたいと思います

 

ダブルブレステッド…あらためて断るまでもなく、衣服の両合わせを二重にし、ボタンを縦二列に並べてつけた型式を、英語ではダブルブレステッド、日本のテーラーでは昔から「両前」と呼んでいます

 

「両前」はもちろん英語のダブルブレステッドの訳ですが、本来は名前の通り、衣服の上前・下前にいずれにもボタンホールが開けられて、風向きなどによって左右どちらにも合わせられる仕組みになっていました

 

そもそも、「ダブルブレステッド」という英語が文献類に見られだしたのは、『ニューカレッジ英英辞典』によれば、1701年ごろのこととされています

 

ということは18世紀のはじめには、すでに存在していたということになります

 

事実、これより30年近く前、1674年ごろ、ダブルブレステッドの原型ともいうべきものが見られたという記録もあるようで

 

 

「ブランデンバーグ」という軍人用の防寒外套がそれで、今日のダッフルコートのように、一種のループ状の飾り紐を用いて、これを下前のボタンに引っ掛けて留める形式のものです

 

いずれにせよ、当初のダブルブレステッドは主に軍人用や乗馬用、もしくは旅行用のオーバーコートのたぐいに採用されていたようです

 

 

これが紳士服の上着やベストのたぐいに採用されるようになったのは、後の1730年代に至ってのことであり、さらにそれらが一般化を見るようになったのは、1780年代からのことのようです…もっとも、上着といっても、当時のそれらは燕尾服のような形が中心で、スーツのような上着はまだ登場していませんでした

 

 

背広型の上着、つまりラウンジジャケットに両前のスタイルが見られるようになったのは、19世紀も半ばを過ぎた1862年ころからとされています

 

最初のダブルブレステッド・ジャケットは、6個ないし8個のボタンを縦に平行して付けたものになっていて、留める側のボタンは残らず掛けて着用されました

 

このタイプの上着を当時はリーファーとかピー・ジャケットと呼んでいたようです

 

リーファースタイルは以後19世紀の末まで流行し、新しい世紀の訪れとともにしだいに廃れていきました

 

 

代わって1903年頃、新しいタイプのダブルブレステッドが現れました

 

4つボタン2つ掛け、ないし6つボタン2つ掛けというのがそれであり、この両者はいうまでもなく、今日の両前上着の基本型となったものであります

 

ついで、1910年ころには、なんと2つボタンの両前方まで現れました

 

 

ダブルブレステッドのタキシードは1921-1922年ころのことらしく、スペインの国王、アルフォンソ13世がフランスの保養地ドーヴィルで着たのがそもそもの始まりで、イギリスでもまもなく当時のファッションリーダーの一人であったコメディアン兼ミュージカル俳優でもあったジャック・ブキャナンという人物が、ダブル型のタキシードの流行に先鞭をつけ、1925年ころから注目を集めだしました

 

 

その後、1930年の半ばにロングターン・ダブルブレステッドが登場し、1990年代バブルのときにはアルマーニ、そして今回の流行へと繋がっていきます

 

以上、長々とダブルブレステッドのことを書いてみました

 

歴史を知るともっとスタイルのことに興味を持つかもっ!?

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ダブルブレステッドスーツもお仕立ていたします

 

 

 


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