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2015年8月の記事一覧

コットンの歴史と種類

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

8月も残り2日となりましたが、まだまだ暑い日が続いています

テーラー新屋では、今夏、綿素材の生地を使用したジャケットを例年よりも多くご注文いただきました

 

 

そこで、今回は綿(コットン)の歴史と種類について書いてみようと思います

 

 

まずは歴史から

コットンは、考古学上の発見からすれば麻やウールよりも新しく、絹を含むいわゆる四大天然繊維中、絹より上の第三番目に位置づけられています

その起源には諸説がありますが、少なくともこれまでのところ、インドのインダス河畔で発見されたといわれている紀元前3000年頃の綿布をもって世界最古のものだとする説が、最も有力な紀元説とされているようです

 

インドで栽培・製織されだしたコットンは、やがてペルシャやアラビアなどに伝播し、下って紀元前4世紀頃、かのアレキサンダー大王の中近東侵略によって、綿の栽培地域はさらに方々へと広まっていきました

エジプトやギリシャ、ローマやエチオピア等に次々に輸入され、7世紀頃には中央アジアを経て中国へ、そして8世紀の末には日本へも伝来されるようになりました(日本で綿栽培が本格的に行われるようになったのは、それよりもずっと後の14世紀の末に至ってのことです)

 

綿織物が今日のように麻や絹に代わる主要被服素材となったのは18世紀後半の、イギリスに端を発した「産業革命」以降のことです

種々の紡績機、繰綿機の発明に伴い綿製品の大量生産、大量消費時代を迎えることとなり、以後19世紀から現在に至るまで、綿はウールと並ぶ2大天然繊維として在りつづけ、下着をはじめとする種々の被服材料に広く用いられるようになりました

 

 

中でも特に、西インド諸島(英領)の一つ、アングイラ島原産のシーアイランド・コットンは、古来最も有名かつ優良なものとして、広く認められています

「海島綿」と訳されるこのシーアイランド・コットンは、すべての綿繊維中最も長くて細くかつ光沢もあり、ふつう120番手くらいから、400番手くらいまでの糸に紡績ができます

米国フロリダ州やジョージア州、サウス・カロライナ州やテキサス州沖の群島並びに、西インド諸島で栽培される良質コットンを総称し、ワイシャツ地、ブロードクロスをはじめとする高級シャツ地用の原料としてなじみが深いです

 

ナンバリングの入った海島綿のジャケット生地

ナンバリングの入った海島綿のジャケット生地

 

シーアイランド・コットン以外の綿の種類も簡単にご紹介します

 

エジプト綿

ナイル河流域に産する優良な綿花で、通常150番手くらいの糸に紡績されるといわれています

高級カタン糸、シャツ地、ニット素材やレインコート地などにも使われています

 

アメリカ綿

シーアイランド綿以外の北米大陸に産するコットンの総称で、一般的には繊維はあまり長くなく、50番程度が多いようです…しかし中にはエジプト綿に勝るとも劣らない高級綿があり、その代表格に「スーピマ綿」と「ピマコットン」があります

「スーピマ(Supina)」は米国スーピマ協会の商標名で「ピマコットン(Pima Cotton)」は合衆国南西部に産するエジプト綿とアメリカ綿との異種交配によって作られたものを指します

アリゾナ州のPima Countryにちなんで名づけられたこの綿は、ブルックス・ブラザーズの釦ダウンシャツ、ピンポイント・オックスフォード地に使われる材料として知られています

 

インド綿

東インド産の綿で、繊維は短く光沢もありません

40番手以下が大半を占めています

 

南アメリカ綿

ペルーやブラジルなどに産する多年生のもので、主としてメリヤス肌着地や、ウール及び合繊との混紡用に使用されています

 

 

最後に語源を少し

Cottonの原語は中世英語のcotonから来たもので、その語源はアラビア語のqutunまたはqutnに由来するものとされています…というのもアラビア商人が綿をインドから諸外国へと持ち運んだためだそうです

 

 

静岡県のテーラー新屋は、高番手綿だけが良いのではなく、素材の雰囲気によっては番手の低い綿をあえて使用して仕立てるのも面白いなと思っています

 

 

 


シャネルスーツの由来とディテール

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

先日、コンビニで「佳子さま20年のあゆみ」という本をみかけました

Amazonを見てみると数冊出版されており、佳子さまの人気の高さが伺えます

 

佳子さまといえば、春先にシャネル風のスーツを「シャネルのスーツ」をお召しになっていると誤って引用したため、ちょっとした騒動になったことが記憶に新しいです

 

 

そこで、今回はなぜ佳子さまがお召しになっていたタイプのスーツを「シャネル風スーツ」や「シャネル・スーツ」と言うのか書いてみたいと思います

 

 

今から33年ほど前、1981年の秋に「シャネル・スーツ」をめぐりちょっとした問題が巻き起こりました

 

今では、当たり前のことかもしれませんが…

それは、当時のシャネル社の日本総代理店が新聞に「当社製品以外に対し、シャネル・スーツという言葉を用いることはまかりならぬ」と半ば普通名詞として長年親しまれてきた言葉について広告文を掲げました

さらには「シャネル風やシャネル調などとも使ってほしくない」とまで話が発展しました

 

これにはアパレル業界も大変困ってしまったそうです

 

というのも、そもそもは、アパレル業界とファッション雑誌がタイアップして、「流行の中心はシャネル・スーツ」とか「だれもが一着ほしいシャネル・スーツ」といった類のかなり大掛かりなキャンペーンを打ち出したのがはじまりだからです

 

 

ここで、まず「シャネル・スーツ」がどういったものなのか簡単に書いてみます

 

「シャネル・スーツ」は、パリ・モードの先駆者の一人であるココ・シャネルことガブリエル・シャネル(1883-1971)の名前に由来しますが、この種のスーツが発表されたのは、第一次世界大戦の頃で、女性が社会的に進出するのにふさわしいデザインの服として脚光を浴びました

 

代表的なパターンとして①直線的なシルエット、②詰まったラウンド・ネック、③スクエア・フロントで短めの上着丈、④膝丈までのスカート等々を特徴として挙げられますが、その他にも⑤ブレードで縁取ったり、⑥金属釦を用いたりすることが多いです

 

コルセットからの解放や、ジュエリー(貴金属)から単なるアクセサリー(小物)による装飾、素材もシルクのみならずウール、コットンその他の採用なども「シャネル・スーツ」の特質といってよいかもしれません

 

紳士服と異なり婦人服は流行に左右されますが「シャネル・スーツ」に限っては基本的な考え方として流行に超越した存在を誇って今日に至っています

 

 

閑話休題

 

婦人物のデザイナーは、デザインをコピーされることを大変嫌います

 

しかし、ココ・シャネルは違い、以下のように言っていました

 

「とにかくニセモノがホンモノを感覚的にも技能的にも越せるはずはないのですから…」とも「それがために社会に役立ち、同時に私自身の宣伝ともなれば幸い…」と言ったとも伝えられています

 

いずれにせよ、シャネル自身は「どうぞ真似てください」といったスタンスだったようです

 

 

ところが、シャネルが88歳で亡くなってからも10数年間は、パリの本社では主にオートクチュール(注文洋服)を扱ってきたものの、その後の高級既製服(プレタポルテ)への進出よって、今までの個人の注文に対して感覚や技能をアピールしていったことを既製服では表現することが難しくなり、他社の「シャネル・スーツ」に対抗?せんばかりに、日本市場を背景に「商標権」について異議を申し立てることとなった背景があります

 

 

このような経緯から、是非はともかく昔から佳子さまがお召しになっていたようなスーツのデザインをアパレル業界では慣習的に「シャネル・スーツ」とか「シャネル風・スーツ」と呼んでいるわけです

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ココ・シャネルがこの問題に天国でなんと言っているのか気になります

 

 

 


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