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明治・大正・昭和の軍装の変遷

静岡県のテーラー新屋のダイスケです


今年は戦後70年の年です
テレビなどでも様々な特集が組まれています


そこで、今回はテーラーの視点から、昔の資料を引っ張り出して、明治・大正・昭和の軍装コレクションをご紹介したいと思います

 

デザインや金モールの使い方など、それぞれ特徴的だと感じます

 

 

まずは、勅任官大礼服(明治6年制定・大正期制作)

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続いて、宮内庁式部官大礼服(明治6年制定・大正期制作)

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次は海軍中将正装(明治19年改正型)

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陸軍大将正装(明治8年制定)

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陸軍砲兵少佐正装(大正期制作)

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陸軍大将軍服(日清・日露戦争当時着用)

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陸軍大将正装(昭和期制作・参謀総長・日本最後の軍服)

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有爵者大礼服(明治期制作 ・男爵用)

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陸軍中将正装(明治19年改正型)

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最後に陸軍御親兵曹長軍服(明治4年制定・5年より近衛兵と改称)

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※戦争時の衣装ですのでデリケートなことかもしれません

問題があれば削除しますので、その際はご連絡ください

 

 

追記 4月24日 軍服の仕立てについてブログを更新しました → こちら

 

 

静岡県のテーラー新屋は平和を愛しています


あなたのその服 Made in UK? Made in England?

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

明けましておめでとうございます、正月ということで、のんびり過ごしてます

 

昨年を振り返えった時、様々なニュースありましたが、その中で、スコットランド独立住民投票は、アパレル業界の私にとっても興味深いものでした

そのことを思い出したので、今回は「英国製」について書きたいと思います

 

 

生地でも服でもアクセサリーでも「英国製」という場合、およそ次のような6つの表し方があるのはご存知でしょうか?

それぞれで意味も多少違ってくることを覚えておくと何かの際に役に立つかも!?

 

① Made in Great Britain

② Made in England

③ Made in Scotland

④ Made in Wales

⑤ Made in UK

⑥ Made in Ireland

 

 

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さて、①はイングランドはもとより、スコットランド、ウェールズの製品も含みます

 

②はイングランド製品のみを表しています

 

③はスコットランドの製品を

④はウェールズの製品

は北アイルランドの製品を表してます

 

⑥はアイルランドの製品ですが、もっとも、アイルランドは「英国」ではありませんが、「元英国」であり、現在のも「英国と関係深い国」という意味で「(準)英国」と呼んでも誤りではないということで…

※アイルランド人は、そう思われていることに抵抗を感じていますので、ご注意をっ!! 

 

 

例えば、ドルゴール・ツィードや黒ビールのギネスなどは、日本では一般的に「英国製」と呼ばれるものの、その実 Made in Ireland ですね

 

なお、「英国」の正式国名は「グレートブリテンおよび…」ですが、英語で表すとThe United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland となります

 

イギリス製品を見たときに、ふと思い出すと面白いかもしれませんね

 

 

静岡県のテーラー新屋は英国製の生地も取り揃えています

 

 

 


ポール・スミス

 静岡県のテーラー新屋のダイスケです

先日、ポール・スミスの時計を分解した写真の展覧会が表参道で開かれていると言うニュースを見つけました


そこで、今回はポール・スミスのデザイナーズ・ブランド立ち上げまでを書いてみたいと思います

 

ポールスミスは1946年にロンドンから列車で2時間ほどの距離にある、ノッティンガムに生まれ、ここで弟1人妹1人の三人兄弟で育ちました

彼は11歳になって自転車競技に熱中するようになるまで、少年時代の記憶はまったくないと回想しています

 

嫌で嫌でたまらなかった学校を15歳で卒業して、彼の父の友人が経営している衣料品卸売り業の会社に就職しました


15歳という幼い彼に割り当てられた仕事は、ディスプレイに関するものだったが、17歳になった時に彼に課せられた職種はメンズウェアとその関連商品仕入れでした


しかしスミス少年が熱中していたのは、じつはこの仕事はではなく、相変わらず自転車競技でした

自転車競技に技は事故はつきものですが、ある日大事故に遭い、愛用の自転車はぺしゃんこに潰れたが一命だけは奇跡的に助かり、彼は三ヶ月の入院生活を送らなければいけなくなりました

この病院生活で、人生には自転車よりも情熱を燃やせる対象があるという事実をしみじみと悟ったそうです

 

時は60年代の中期のことで、カーナビーストリートのモッズルックが英国国内だけでなく、世界のファッション界にも強烈な刺激を投げかけていた時代だったので、彼がこれからの人生をかける対象がファッション界となるのはごく自然なことだったようです

 

退院後、彼がはじめて手掛けた仕事ははネクタイををつくることでした

ちょうどノッティンガムで彼の友人の1人がブティックを開店しようとしていて、この友人とこの事業を共同で進めることになりました

 

しかし、なんと言っても若き日のポールスミスの運命を決定したのは、彼が21歳になったときにポーリンに出会ったことです


後に彼はこう語っています

「彼女はすべてを飛躍的に、そしてトントン拍子に推し進めてくれた
彼女は既に2児の母であったので、私は結婚してすぐに、本当の父親であり家長となった
しかし、それ以上に私にとって重要だったのは、彼女がロンドン生まれでロイヤル・カレッジ・オブ・アーツで学んでいたことだった
わたしは偏狭な田舎者だったけれど、彼女はそうではなかったのである」

 

妻ポーリンの積極的な勧めと貯金が600ポンドあったので、ポール・スミスは彼自身のブティックを開店することを決心しました

しかし、自身のブティックといっても4メートル四方の小さな小さな店で、しかも開店日は金曜日と土曜日の週に2日だけで、残りの日は金を稼ぐ為に外で働かなければならなかった


その当時の事を彼は

「私は金と同時に知識もなかったのだ
この時代に私自身を最高に慰めてくれたものは私自身の満足感だった
私を容易に満足感させるものはなかなかなかったけれど…」

 

それからさまざまな製造業や小売業者の製造とスタイリングのコンサルティングを連続するが、資金がないので僅かな手数料を稼ぐだけというような生活が続きました

こうしたときに、彼の名前と仕事を決定的に英国国内だけでなく世界的に記憶させたのはブラウン・オブ・ロンドンでのデザイン活動でした

 

ここでの三年間の仕事を背景にして、彼は自身の製造業の仕事をはじめましたが、ポーリンがすべての商品のカットをし、スミスが販売を担当する
というようなかたちで小さな小さな製造業者の仕事がはじまりました


小さな部屋のベッドの脇に、米国のバーニーズ、日本のバイヤーが商品を見てくれたことをよく覚えている
このときぐらい明かりがまぶしかったことはいままで経験したことがない

と語っています


しかし、’76年から’77年の2年間で売れたのはわずかに400着のシャツだけだったといいます

 

ロンドンのコベントガーデンに最初のショールームを開設したのは1977年のことでした

ようやく独立したデザイナーの基礎が確立したからです


ファッションの仕事に生きがいを見つけて以来、もう15年近くが経過していたけれど、70年代後半期のデザイナーズ・ブランド物の人気上昇が世界的にみられる幸運も幸いして、瞬く間にポール・スミスの名前はビッグネームとなりました

 

’79年にはコベントガーデンに自身のブティックを開店し、’82年にはもう一つをロンドンのブティックとしてアベリー・ローに開店しています

 

以来、現在では欧州各地をはじめとして日本や米国でもそのデザインがごく身近にみられるようになっていきます

ポール・スミスの、英国調の最も現代的なデザインがはじまりです

 

静岡県のテーラー新屋はポール・スミスのことも応援しています

 

 


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