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スペンサージャケットの興味深い起源

はじめまして、新人の大河です。

昨年の4月から修行しています。

 

今回の話はスペンサージャケットです。スペンサージャケットは本来、6釦3つ掛け式の尾のない燕尾服型のジャケットまたはコートを指します。このオリジナルのスペンサージャケットは1790年に見られるようになり19世紀では男女の区別なく上流社会で流行し、1850年代に廃れたことが伝わっています。

 

ところで、このスペンサージャケットの起源には2つの興味深い説があることをご存知でしょうか?

どちらの説も18世紀末の貴族、ジョージ・ジョン・スペンサーの失態から生じたものである。

 

一つはスペンサー卿が狩場で焚火を囲んでいた際に、着ていた狐狩り用の燕尾服の尾っぽを綺麗に焼いてしまい、それがたちまち社交界に伝わり流行の最先端を切るものになってしまったという説。

 

もう一つは同じくスペンサー卿が騎馬で遠乗りに出かけた際に、何かのはずみで突然馬から振り落とされ、その拍子に乗馬服の尾っぽと袖が引きちぎれてしまった。

この一件がたちまち仲間の紳士たちに知れ渡り、一世の流行にまでなってしまったという説。

 

つまり「焚火説」と「落馬説」があり、いずれも1789年頃の出来事だったとされています。どちらも滑稽な説ですが皆さんはどちらの説を信じますでしょうか?

 

 


ユーベル・ド・ジバンシィ

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

先日、お客様のお連れの方から最近の口紅は唇のpHによって色味が変わるという話を聞いてパーソナルカラー診断が必要なくなる日も近いのではないかと感じました

その口紅がジバンシィのものだったそうなので、せっかくなので今回はジバンシィについて書いてみようと思います

ユーベル・ド・ジバンシィは1927年にボーヴェに生まれました

ジバンシィが美術学校で学んでいた17歳のとき、彼がそれまでずっと憧れ続けていたバレンシヤガにデザインスケッチを見せようとパリに出てきました

しかし、機会を与えられず、たまたま彼の才能を認めたジャック・ファットの見せにデザイナーとして就職しました

その後、ピゲ、ルロンといった高級婦人衣装のデザイナーを経て、有名なスキャパレリのメゾンの主任デザイナーに就きました

ジバンシィは、このメゾンで働いていた期間が一番長く、丸4年間働きました

後年、このスキャパレリの店の経験を回想して、彼は次のように語っています

私の若い頃からの夢は、バレンシヤガ氏のそばで仕事をすることだったのですが、友人の紹介でマダム・スキャパレリのところで働くことになったのです 

だが、ここで本当のエレガンスを見つけたのです 

そこはまた、真にエレガントな女性に出会ったところでもありました 

マダム・ギネス、ウィンザー公夫人などをはじめ、当時もっともエレガントだったフランスやイタリアの貴婦人たちに会うことができたのです 

これは私にとってすばらしい思い出です 

そして、4年後には私自身のメゾンをもつことになったのです 

残念ながらマダム・スキャパレリは私の独立に不満だったので、私たちは冷たく別れざるをえませんでした 

それでも、私は彼女を敬愛していましたし、彼女のそばで働いたことを大きな喜びと思っていました

1952年、25歳のとき彼がパリのデザイン界で一番尊敬していたバレンシヤガの近くに自身の店を開きました

当時の評価は、バレンシヤガの落ち着いたエレガンスに影響を受けた、同じような作風のコレクションを創作するデザイナーというのがごく一般的な評価でした

このバレンシヤガの死後、同類のきわめて洗練されたこのクチュールがますます完熟していき、パリのファッション業界がプレタポルテ(高級既製服)路線を強化するのと逆行するような形で、そのクチュール性が世界的に評価され、受け入れられるようになっていきました

ついには、1978年にはデ・ドール(金の指貫)賞が贈られました

この賞はパリの伝統的でもっともエレガントなコレクションに贈られるもので、それはそのままジバンシィが80年代のクチュール界に文字通り君臨することを意味していました

※ピエールカルダンはその翌年の1979年に受賞しています

ジバンシィは、洋服をデザインする出発点について、こう語っています

作品の出発点は布地

作品をつくるときには、まず最初の出発点で、布地のことを考えます 

布の重さ、柄、布の生かし方、動き方をみます 

布地は生命を持っているので、布地のいわゆる落ち方がもっとも良い形にいくように務めます 

好きな布というのは特にありません 

しかし、他の布地よりも扱い易い布地というのはあります 

それとは逆に、扱いにくい布を使って、今まで表現されなかった美しいなにかを創ろうとすることが私は好きなのです 

苦労したあとに表現された美しさ、私にとってその喜びはなにものにもかえがたいものです

と、デザインの秘密を打ち明けるジバンシィは一方で

10年前まで、クチュリエがすべきでないことまでやっている人もいます 

その点について、自分が監督でき認めることができ、試すことができ、自分の名前がついても誇りにできるようなものを作れるのなら、ライセンスを引き受けてもいい 

と批判しています

活躍については、オードリー主演映画「麗しのサブリナ」の一部の衣装を担当したり、 メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」を発表したりなど…詳しい内容はウィキペディアや他のブログを参考にしてください

静岡県のテーラー新屋は、ジバンシィの香水の香りが好きです


エマニュエル・ウンガロ

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

4月も残すところあとわずかです

休日になると、この時期浜松では浜松祭りの準備を所々で見受けられ、気持ちがウキウキしてきます

 

 

さて、前回はクレージュについて書きましたが、そのときにも少し触れたウンガロについて今回は書いてみたいと思います

パリで同時代に活躍したクレージュとウンガロ、それぞれのセンスの違いなど比べてみるとより面白いかもしれません

 

 

エマニュエル・ウンガロは1933年イタリアで生まれました

 

ウンガロと同年生まれのイタリア人デザイナーとしてまず思い出すのはジョルジオ・アルマーニです

 

アルマーニが1970年代中期のデビューと比べると、ウンガロはそれよりも10年早い1965年に第一回のコレクションを発表し、パリのファッション界に登場するという華やかなスタートで飾られています

 

また、アルマーニがパリのニノ・セルッティのデザインハウスでスタイリストをしていたという地味な経歴に比べ、ウンガロはパリの名門オートクチュールのバレンシヤガで1958年から1963年までの間、スタイリストを務めていました

 

ウンガロとアルマーニのデビューの差は、いわば華やかなパリの表舞台を経由したという経験の質の違いが、この10年の差となって出てきたのかもしれません

 

いずれにせよ、エマニュエル・ウンガロの登場は華々しかったという事実に違いはありません

 

 

ウンガロの登場した60年代は、女性のミニスカートや男性のモッズルックに象徴される大胆な前衛の時代でした

デザイナーとはその時代を反映しており、特に新たに登場してくる若いデザイナーにはそういった傾向が強いのも当然です

 

そのような背景からなのか、ウンガロのデザインは、それまでのパリの高級衣装店のデザイナーが世界の上流階級を前提として新しいデザインを起こしていたのに対して、その対象年齢をぐっと引き下げて、自分と同年齢層の若い世代のためのファッションを創造したのでした

 

若い人たちを対象としたデザインは、現在ではごく常識的な発想になっていますが、60年代のパリのオートクチュールの世界では画期的な事件でした

 

こうした彼の独自な革命的なやり方を「若いテロリスト」とパリのデザイン界が評したのもごく自然のことでした

 

 

60年代というのは、プレタポルテが本格的に開発された年代でしたが、ウンガロの特色である、若い世代にデザインの対象を絞り込んでの特異な色柄とスタイルが、ウンガロをたちまちライセンスによる人気デザイナーズブランドへと押し上げました

 

70年代の初期には、もうアメリカの市場をはじめとして世界のどの都市にもみられる有名ブランドへと成長していきました

 

 

ところが1977年に事件がおこりました

それは支配人のアンリ・ベルゴーをはじめとする古くからの12人のスタッフが、当時パリに進出したばかりの日本の森英恵のハウスにごっそりと引き抜かれてしまったのでした

 

そして、この森英恵の店はパリのオートクチュールが密集するモンテーニュ通りの、ウンガロの店のちょうど向かい側に開店しました

スタッフばかりでなく、顧客も引き抜かれるのは当然のことでした

 

再起は不可能とさえ噂されましたが、バルマンにいたスタッフの何人かを補充し、そのプレタポルテの生産本拠を彼の故郷であるイタリアに移すなのど合理化によって、ようやく80年代の初めに全盛期に近い業績を上げるまでに復活しました

 

1990年、ウンガロが50歳のとき、ラウラ・ファファーニと結婚し、1996年にはフェラガモにブランドを売却しました

このフェラガモへの売却は友好的な買収だったと言われているそうです

 

そして、現在でも、ウンガロのデザインチームの若い人たちが元気に活躍しています

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ウンガロの特異な異国情緒を盛り込んだデザインも好きです

 

 

 


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