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【歴史】の記事一覧

明治・大正・昭和の軍装の変遷

静岡県のテーラー新屋のダイスケです


今年は戦後70年の年です
テレビなどでも様々な特集が組まれています


そこで、今回はテーラーの視点から、昔の資料を引っ張り出して、明治・大正・昭和の軍装コレクションをご紹介したいと思います

 

デザインや金モールの使い方など、それぞれ特徴的だと感じます

 

 

まずは、勅任官大礼服(明治6年制定・大正期制作)

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続いて、宮内庁式部官大礼服(明治6年制定・大正期制作)

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次は海軍中将正装(明治19年改正型)

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陸軍大将正装(明治8年制定)

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陸軍砲兵少佐正装(大正期制作)

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陸軍大将軍服(日清・日露戦争当時着用)

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陸軍大将正装(昭和期制作・参謀総長・日本最後の軍服)

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有爵者大礼服(明治期制作 ・男爵用)

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陸軍中将正装(明治19年改正型)

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最後に陸軍御親兵曹長軍服(明治4年制定・5年より近衛兵と改称)

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※戦争時の衣装ですのでデリケートなことかもしれません

問題があれば削除しますので、その際はご連絡ください

 

 

追記 4月24日 軍服の仕立てについてブログを更新しました → こちら

 

 

静岡県のテーラー新屋は平和を愛しています


モーニングコートとボタン数

静岡県のテーラー新屋のダイスケです


先日、歌手の桑田佳祐さんが紫綬褒章を受章しているところをテレビで見ました


普段、Tシャツ&ジーンズの印象がある桑田佳祐さんのモーニング姿を見ることが出来て新鮮でした

 

さて、そんなモーニングコート
リニューアル前のブログでも触れたことがありますが、今回はボタンの数にフォーカスをおいて書いてみたいと思います

 

現在のモーニングコートは1つボタンですが、今から半世紀程前には2つボタンであったり、19世紀の末には3つボタンや4つボタンのモーニングコートも一般に用いられていたそうです


そして、1個の場合は往々にしてリンク(拝みボタン)にかけるが、2個や3個の場合は普通にボタン掛けしていたそうです


それでは、4つボタンの場合はというと、上の2つをかけて下の2つは遊ばせていましたが、それはちょうど、6つボタン5つ掛けのベストのように裁断上で、掛ける用と掛けられない用のボタンがついていました

 

なお、モーニングコートのラペルは、4つボタン時代から2つボタン時代までノッチだったが、1つボタンになってはじめてピークが表れ(注=最初は1つボタンでもノッチド•ラペルが多かった)、今ではノッチのモーニングなど見たくても容易に見ることが出来なくなってしまいました


※2つボタンのモーングコートは、東京の金洋服店の服部先生のホームページで拝見したことがあります
http://kinn-tailor.com
(Custom-madeのページのモーニングコートの写真をクリックすると見れます)

 

次の関係はあくまで「概して」に過ぎませんが、フロントボタンと袖ボタンの個数を見ると、4個(前)に対し1個(袖)、3個に対し2個、2個に対し3個、1個に対し4個とどれも合計すると5個になるなんて話も聞いたことがあります

 

今回はモーニングコートの表面的な変化などを書いてみました
モーニングコートをインスパイアしようとしたデザインを考えているデザイナーさんなどには、参考になるのではないかと…

 

静岡県のテーラー新屋はモーニングコートもお仕立ていたします


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